top of page

​学内に大学当局批判ビラ

目的は学生の自治

2022年11月23日

 今年の春頃から、学内である団体のビラをよく見かけるようになった。そのビラの正体は、「ボアソナード博士と歩む会」略して「ボアソ会」だ。本学では名前だけでは活動内容を想像し難い公認サークルがいくつか見受けられるが、その中でもひと際目立つ名前である。ボアソナード博士はフランスの法学者である。ボアソナードによって培われたフランス近代法の理念は、本学の自由と進歩の学風の基盤となった。 

ボアソナード博士の胸像.HEIC

本学ボアソナードタワー1階正面にある、ボアソナード博士の胸像

​=津田和弥撮影

 そこでボアソナード博士と歩む会の会員であるN氏に取材の許可をいただいた。 

 

——ボアソ会はどのような目的で活動しているのか?  

 「目的は2つあり、1つは大学批判や政治の話ができる学生文化を取り戻すこと、2つ目は学内における言論表現活動の自由を守り拡大することです。現在、本学には大学の決められた方針には異論が認められず、政治の話をする人は過激派だという雰囲気があります。異論を唱えにくい環境で、コロナ禍での学費が値上げや、図書館の貸出履歴保存システムの導入など、学生の反発を無視した強引な施策がかなり通っています。 

 この状況に至った要因は、ビラや演説や立て看板といった、言論表現活動における基本中の基本が年々規制されていることだと思います。昔は当然のようにできていた立て看板や演説が今では禁止され、ルールに則って貼ったビラも理由すら示されずに剥がされます。だからこそ、今保障されている言論表現活動を守り、大学に恣意的な介入をさせないこと、より大きな言論表現活動の自由を勝ち取っていくことを当会の目的としています」 

——ボアソ会の名前の由来は? 

 「ボアソナード博士が大好きだからです。昨今、大学の自由が奪われていく中で、今一度ボアソナード博士の遺した、「自由と進歩」の学風を取り戻したいという思いで名前を付けました」 

——メンバーは何人いるのか?  

 「会員は8人います」 

——なぜビラを張るのか?  

 

 「法政大学で声を上げようとすると、どうしても手段が限られてしまいます。ビラを張ることでしか表現ができないのが実情です。サークルハンドブックのルールに従って連絡先を記載しても、通告すらされずに一方的に剥がされるのです。 

 最も問題視していることは、立て看板の掲載場所が無くなっていることです。CSK(市ヶ谷サークル支援機構)は立て看板の設置について柔軟な対応をせず、学生センターからは、「建替え工事完了以降、大学構内に立て看板を設置する場所はございません。」という回答が返ってきました。学生が反論すると学生センターは、学生の所属・学部・学籍番号を聞いた上で、「弊センターは登録団体の対応を行う部局ですので、今後の対応を学部と協議します。」と、回答を拒否しました。質問をしてから4ヶ月が経過しましたが(9月時点)、未だに回答を得られていません。 このような大学のあり方に反対し、学生が主体となれる環境を構築したいと思い、できることから活動を始めています」 

——安倍元首相の国葬についてどう考えるか?  

 

 「安倍元首相の国葬については反対の立場です。安倍元首相は、戦争法制定を強行し軍拡を訴え、違憲立法を繰り返してきた人物です。また、複数の疑獄事件に関わっているとされ、統一教会との関係も指摘されています。そのような人物に対し、多額の税金を使い、国を挙げて弔うことは安倍元首相の行いを正当化することだと考えます。 

 そもそも国葬は、特定の故人を礼賛し、祭り挙げるものでしかありません。特に近代以降は国民統合を最大の目的とし、国家ニ偉勲アル者に対し、異常ナル特典を与えることで、規範となる国民像を示す役割を果たしました。これは、東郷平八郎や伊藤博文の国葬を通じて、日清・日露戦争や朝鮮の植民地支配を正当化する世論を作り上げました。戦時中の日本においては、山本五十六を国葬することにより、米英撃滅という挙国一致体制を演出しました。やはり国葬は、民衆の思想・言論の自由を抑圧し、為政者の都合の良い方向へ誘導するものでしかないと考えます。どのような美辞麗句を並べようとも、国葬はナショナリズムを煽り、民衆を戦争に向かわせるものでしかありません。それは過去の歴史が証明してきましたし、現在もその本質は変わっていないと考えます。 

 国葬の決定過程にも疑問があります。国会を関与させず政権与党の独断で決定されました。法的根拠がなく、財政民主主義、法の下の平等、思想・信条の自由を定めた憲法に違反すると言われています。過去に佐藤栄作の国葬が検討された際に、内閣法制局は、「法的根拠が希薄である」という見解を出しています。「決まったことだから従え」という政府からの要請は、まさに「民主主義の破壊」であり「言論の封殺」に他なりません。 実際に、今回の国葬でも、大学に対して黙祷や半旗の掲揚が要請されていました。ボアソ会は、学内の言論・表現活動を守るために活動しています。だからこそ、我々は国葬には反対の立場です」 

 

——法大生に一言 

 「コロナ禍では、高額な学費や大学生活への絶望感から、大学の退学を検討する学生が2割に達しました。しかし当時、本学は退学を検討する学生に対して真摯に向き合ったのでしょうか。 私たちは、大学や社会に対して疑問や不満を持っている学生と広く繋がり、ともに行動していきたいと考えています。人数が多ければ多いほど、できることも広がっていくと思います。学生・教職員を問わず、まずは気軽に連絡をいただければ嬉しいです」 

 
 

【学生の目】 

  N氏の話すように、確かに本学において、各サークルに展示が許可されている学内掲示板のビラには、他校にみられるような政治的なビラや大学批判のビラは見当たらない。この背景には、学生の活動を規制して、「綺麗な」大学を演出したいという大学当局の思惑があるのではないかと疑われてもおかしくない。 

 また、N氏は「政治の話をする人は過激派だとする雰囲気がある」と述べているが、N氏以外にもこの雰囲気を感じ取る学生は少なくないのではないか。千代田区にある、政治・経済・文化の中心地ともいえるこの市ヶ谷キャンパスで、学生が一切政治に関心を持たないはずがない。 

 『法政大学八十年史』によれば、弊会(法政大学新聞学会)は1929年の創刊当時から「自由主義的な批判精神」に立脚していた。法大の学生新聞の創刊は大学当局に反対されたが、学生のストライキによって発行の許可を勝ち取った。 

 法大の自由な学風と自治の精神を取り戻そうとするボアソナード博士と歩む会の活動は、弊会の今後の活動にも関わってくる。今まさに筆者がこの記事を書くことは、弊会にとっても大きな意義を持つであろう。

(津田和弥) 

bottom of page