法政大学応援団リーダー部、自傷の指導
時代とともに「暴力は論外」
2022年3月28日
2019年12月、法政大学応援団の総会が九段北校舎で開かれ、リーダー部・吹奏楽部・チアリーディング部の全団員が100名近く集まった。この総会は、来年に向けて1年を締めくくる大事な会だ。応援団のトップこと部長を務める国際文化学部の宇治谷義英教授は、会場でボブ・ディランの「時代は変わる」をギターで弾き語った。「団体のあり方を見直しませんか」という問いかけに、どれだけの団員が気づいただろう。

明治神宮野球場で応援をしている様子=応援団提供
常に練習に追われる
新型コロナウイルスが猛威を振るう前、リーダー部の朝は開門時間の8時から始まった。平日の場合、応援団室での朝の雑用が終われば、1時限目に遅れないよう走って教室へ向かう。授業のない時間も活動に向けた準備に追われる。六大学野球のリーグ戦が行われる時期であれば、昼休みに行う学内のデモンストレーションの準備や片付けをするため、昼休み後の3時限目には遅刻する。先生に許可をもらって教室内で昼食を食べることもある。
18時には、練習する教室の清掃を下級生が行うため、上級生になるまで18時30分に授業が終わる5時限目を履修することはできない。19時から本格的に練習が始まり、終わるのは22時。大学の閉館時間の23時までは片付けや反省会をして一日が終わる。現団員Aは「起きている間はほぼきつい」とこぼす。土日は朝から晩まで練習に追われる。

法政大学応援団の公式ページ。
基本理念と行動指針に、学生の代表としての自覚が記されている
コロナ禍になってからは、情勢を見つつ、下級生に対面を希望するかを聞いてから練習するようになった。現団員Bは「コロナによって悪い意味でも良い意味でも環境を変えやすい時期だと思う」と語る。「今までできた練習ができなくなるほど弱体化してしまうと悲しいけど、下からの意見を踏まえる風潮はコロナ後も残してほしい」と期待を寄せる。
自ら「腹パン」、血だらけの手
練習内容は様々だ。球場を想定しての応援のリハーサル。都心を走り込むロードワークでは、2人1組の手押し車で走ることもある。一方は四つん這いになり、相方が一方の両足を持って歩く運動の一種だ。炎天下の夏では熱されたアスファルトに手をつくために、練習後の手のひらは赤く腫れ上がり、皮がむけて激痛が走る。

九段下駅からほど近い千鳥ヶ淵緑道でロードワークをすることもあった
とりわけ「理解できない」と元団員Cが評するのは、校歌を歌いながら自らの腹を握り拳で叩く練習だ。
「6月に東京六大学の応援団が一堂に会する『六旗の下に』に向け、校歌とともに右手の拳を突き上げて左のお腹を叩く動きの練習です。先輩からは『音が鳴らなくてもいいから思いきり叩け』と言われましたが、吹奏楽部の音が大きくて自分のお腹を叩いても鳴っているのかは聞こえない。先輩がなにを求めているのか、わかりませんでした」
練習が終わったとき、この元団員Cが叩いた自らの左腹には青あざが出来ていた。同じ練習をしていた元団員Dは後日血便が出るほどだった。
音を鳴らす練習では、腹を叩くほかに手を叩くものもある。長いときは3時間も拍手を繰り返す。
叩き続けると手のひらは大きく裂けて血がじわりと回ってくる。そうすると叩くたびにベタベタしてピチャピチャと音が鳴り始める。現団員Aは「叩くたびに血が顔にかかって、気がつくと顔にもたくさんの血が飛んでいる」と話す。こうして手を「割る」と皮が厚くなり、拍手でいい音が鳴るようになる。
なぜ自身を痛めつけるのか。現団員Aはこう思いを語る。「物心がついたときから本気で野球をやっている人たちに、大学に入ってたった数年の私たちが『頑張れ』と言えるようにしないと」。自らの返り血を浴びてでも手を叩き、選手たちを鼓舞し続ける。
「常に全力で、誰よりも自分に厳しくしている。自分よりも選手の方がよっぽどきつい思いをしていると信じてやっています」

市ケ谷総合体育館の裏、通称「体育館裏」。
人が一人通れるほどの幅しかない。
かつてリーダー部はここで拳立てをしていた。
見えないところで努力をするのが「美学」だという
先輩の目をかいくぐる拳立て
現団員と元団員ともに不評なのは、市ケ谷総合体育館の裏のアスファルト上でする拳立てだ。先輩から「今日の練習はここが良くなかった」などと説教を受けながら行う。拳立てとは、拳を握り地面に突き立て、腕立て伏せすることを指す。短いときは5分、長いときは1時間を超える。長時間行えば手のひらが麻痺して開かない。この練習は近年廃止された。
元団員Cはこう話す。「毎試合、上級生から『神宮球場での下級生の動きが悪い』という理由で拳立てをさせられたことがある。その時間を後輩へのアドバイスに使いたいのに言う機会がなくなって次の試合でも改善されず、悪循環になっていた」
拳立てを行うとアスファルトの凹凸が皮ふに食い込んで痛む。この団員は事前に草が生えているところを調べるほか、先輩に見られていないときを見計らって親指を出し、なるべく痛くならないようにしていた。元団員Dも苔が生えている場所をあらかじめ確認していた。
実際にやってみると、1回目から拳がヒリヒリと痛む。5回もやれば左手の指の付け根や関節は粒状に赤くへこんで皮がむけ、血がにじみ出てくる。苔の上に置いていた右手はへこんではいるものの血が出ていなかった。慣れていない人からすれば5分はあまりに長い。

体育館裏のアスファルトは、とがっている石が多く凹凸が激しい。
苔の上に拳を置けば、痛みは少しだけ和らぐ
部長交代で届き始めた思い
こうした厳しい環境も近ごろ、少しずつ改革されている。走り込みをするロードワークはこれまで水が飲めなかったが、今では水を飲める日も増えてきた。以前と比べて昼食もとれるようになってきている。
きっかけの一つは部長が代替わりしたことだ。2016年1月から国際文化学部の宇治谷義英教授が新たに応援団の部長に就任した。本学文学部を卒業したが、学生時代に応援団に属していた経験はない。
毎年、1年生全員と話をして「暴力というのは論外だし、活動が学業に影響してはいけない」と伝えてきた。連絡先を教えていつでも相談に乗れるようにもした。しかし団員と部長の間にはまだへだたりがある。「なんとか団員がつくる壁を壊して話をしたいと思っているけども、いまだにうまくいっていないと思います」と胸の内を明かした。
部長の思いは徐々にではあるが届きつつある。現団員Aは「暴力でなくても言葉で指導はできる」と話す。現団員Bは「応援団全体に対して部長が『暴力は見過ごせません』と言ってから大々的な暴力はなくなった。私が1年生のときに部長から『なにか変えた方がいいと思うことはないですか』と聞かれて答えたものは、自分でも変えたつもりです」と振り返る。
元団員Cは、部長と初めて面談した際「できるだけ学生の意見を反映して、運営させてあげよう」という雰囲気を感じた。「下級生のときにつらかったことを後輩にさせるべきではないし、無駄なことはなくした方がいい。『愛される団体』にするために問題は改善してほしい」と語った。
元団員Dも「先輩の代はまだ暴力がかなり認められていたと聞いたことがある。しかし私が入団した年には、暴力があるにしても、ほおを平手打ちされるくらいでした」と話す。

法政大学応援団の公式アカウントが
2020年5月7日に投稿したツイート。
「練習中に暴力が横行している事実は有りません」と書かれている
学生主体で「伝統」の見極めを
部長が応援団に積極的に介入する枠組みづくりについて、必要なときに助言はするとしつつ部長は否定的だ。「応援団という学生団体がきちんとやろうとするのであれば、誰に監視されるでもなく自分たちでルールを決めて運用するべきだと思います」
監視を強めない理由として玄関の靴を一例に挙げた。靴を揃えないと怒られるために揃える人は、怒る人がいなくなった途端に揃えなくなってしまう。しかし揃えた方が外に出るときに靴を履きやすいと理由を理解した人は、怒る人がいなくても揃え続ける。怒られるから行動するのではなく、そう行動した方が理屈に合っていると納得してほしい。
人は集まると独特のルールができやすい。これまで続いてきた伝統はおかしいと内側にいる人が気づくのは困難だ。19年12月の総会でボブ・ディランの「時代は変わる」を弾き語ったのは、そうした団体に根付く伝統のあり方を彼らに問いかけたいからだった。
古い伝統を守りたいと思っている人たちに対して、時代は動いていることを率直に受け入れてほしかった。「伝統には、残していい伝統と残してはいけない伝統がある。自分を含めて人を傷つけてしまう伝統は残してはいけない」と語気を強める。
「時代は変わる」の最後の歌詞にはこうある。「序列は一気に消えていく。今、先頭にいる人も必ずいつかは最後尾に回る。時代は変わっているのだから」
リーダー部内部では、体育館裏での拳立てがなくなるなど変化の兆しが見えてきた。応援団がこれまで大切にしてきた数多くの伝統の中に「残すべき伝統」はどれだけあるか。団を存続させるためにも、時代の流れに乗る改革はこれからも必要だ。
(宇田川創良)