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​与謝野鉄幹・晶子の名残り

2人の痕跡辿る

2022年11月23日

飯田橋駅からお堀沿いに歩くこと5分、逓信病院のわきに、明治から昭和にかけて活躍した歌人である与謝野鉄幹・晶子夫妻の居住跡があるのをご存じだろうか。

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逓信病院のわきに建てられている与謝野鉄幹・晶子の居住地跡を伝える石碑=小林都撮影

 「鉄の鉄幹」という勇ましいあだ名をもち、活躍していた鉄幹は、森鴎外らに背中を押され雑誌『明星』を発行した。この『明星』に鉄幹の幼馴染である河野哲何の紹介により晶子が詠んだ 歌である六首が掲載されたことが2人の関係のはじまりだと考えられている。その後、2人は結婚し、11人の子宝に恵まれる。「恋とは淫らなもの」という明治の風潮の中で晶子は堂々と恋の歌を読み上げ、受動体制で男性から愛されるのではなく、自らも男性を愛し愛されるという近代女性の在り方を歌に込めて発表した。与謝野晶子没後80年に当たる本年、鉄幹への情熱的な恋を表した晶子の歌集を手に取ってみてはどうだろうか。

(小林都) 

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