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#4 建石教授(連携会員)—②
任命拒否は「自由な精神の流れを傷つける」
2020年11月16日
取材は10月19日に行われました。最新情報とのそごはご了承ください。※印は法政大学新聞担当者の文責。
【#4建石真公子教授(憲法学者)―①の続き】
日本学術会議が推薦した会員候補者6人を菅義偉首相が任命しなかった問題について、憲法が専門の本学法学部・建石真公子教授はどう捉えているのか。①では、首相の説明の整合性と、憲法学の視点から見た任命拒否の問題点について聞いた。
ここからは、学問の自由とは何であるかについてと、学術会議がどういった組織であるのかを聞いた上で、学術会議の在り方や任命拒否の今後の影響について、建石教授の認識を聞く。

建石真公子教授=本人提供
■学問の自由とは
―学問の自由は直接的には誰のものでしょうか。
「学問の自由は23条で独立して規定されていますが、性質は21条の表現の自由及び19条の思想・良心の自由と同じです。しかし独立して保障する規定を置く必要があるほどに、学問の自由は日本にとって重要だということです。
自分とは関係ない人たちの話だという意見も耳にしますが、学問に対して政府が権力で制約を始めると、学問や表現はすぐに委縮し、マスコミや報道からも自由が消え、さらに社会全体に対して一定の言説のみを認め、他を排除する傾向を生み出します。例えばテレビでは、昔はたくさん戦争批判や自衛隊批判などの番組がありましたが、1960年代にそうした番組への政治の側からの批判があり(※1)、今はそうした報道や番組を見ることは少なくなりました。
学問の自由は全ての人にとって大切なものです」
―個人の学問の自由については奪われていないという議論もあります。
「学問の自由が23条で独立しているのは、独自に意味があるということになります。
戦前を考えていただくと分かりますが、学問の自由は大変繊細で傷つきやすいものです。例えば滝川事件や天皇機関説事件です。天皇機関説事件は、最初に貴族院で天皇機関説が不敬であるという指弾を受けたのが1935年2月、美濃部の書籍が発禁処分を受けるのは同年4月10日と約2ヶ月の間に起こりました。いかに短期に、通説であった学説が政府によって葬られたかが分かります。
今回もすでに委縮効果が出ています。様々な団体が声明を出していますが、まだポストがない若い研究者の、声明は出すが匿名にしてほしいという要望がかなりありました。
学問、特に社会科学は、人権や民主主義などの観点から公権力を批判する面を持たざるを得ません。しかし例えば若い世代の方、これから大学院で研究をして、学位を取って、就職しようという方にとってはどうでしょう。論文が就職に影響しないよう、無難な研究をする人が多くなるかもしれません。それは、学問の発展にとって、取り返しのつかない残念なことですし、そうした学問の自由に象徴されている、私たちが生きている社会の自由度も制約されていってしまう結果となるでしょう」
―ここで持ち出すのは不適切ですが、学問の自由を考える上で、東大ポポロ事件の判例(63年)では「学問的研究」と「政治的社会的活動」が分けられています。この2点にはどのような違いがありますか。
「私は日本スポーツ協会でスポーツ指導者に向けてのLGBTの啓蒙活動を、川崎市の人権協議会で会長をしています。これは学問というより、実際に政策の中で人権を生かしていこうという活動です。大学の授業と研究、啓発活動、この辺りは人権研究をしている場合にはグラデーションで全てつながっています。もちろん研究者も市民としての自由は保障されています。
社会科学の研究をしていると政治を扱わざるを得ません。社会科学は憲法、法律、あるいは民主主義など、その学問における様々な主軸となる原理があります。そうした原理から見て政治がどうであるかを考えていかないといけない。時の政権によっては批判が多くなるかもしれません。でもそれは立場による批判というよりは、学問による批判ということになります」
■連携会員を経験して
―連携会員になられる前と後でご自身の研究姿勢に変化はありましたか。
「ゲノム編集技術の委員会に参加した際、研究と施策との関係を実感し、ますます人権研究の重要性を意識するようになりました。ゲノム編集を巡っては、優生学の問題やゲノム編集が数年後の人体にどう影響するか、ゲノム編集で誕生する子どもの権利をどう保護するのかなどの問題があります。こうした「技術の推進」と「人権保護」の対立は、単に理論の問題だけではありません。拙速に推進される背景に経済面における配慮が働いている可能性があります。政府への提言をすることで、人類や日本社会の将来に向けて後戻りできないゲノム編集という技術に関して、やはり法によって決めていくことが重要であることを重ねて示していく必要があります。人の胚のDNAの操作ですから、すべての日本の市民に関わり、もちろん将来の人類にも関わることです。どのような法であるべきかをさらに検討していかなければならないと、研究の視点がより具体的になったと思います」
―学術会議とはどういった組織ですか。
「特権を持つ人たちという印象とは全く違います。何か利権があるわけではなく、これが提言で出たら役に立つだろうとか、このテーマが国会で議論になれば議員が参考にしてくれるだろうという気持ちで活動しています。社会の役に立つためだけに専門家が集まり、熱心に議論します。提言や報告書を出すことは一人ではできません。専門家が集まってやっとできる。何でもないと批判されると本当にむなしいです。
(予算について)
交通費は遠慮してくださいと言われますし、8、9月になると予算がなくなり年度の後半には会議が事実上できなくなります。市民に対するシンポジウムで外国から研究者を呼ぶ際も、学術会議の研究者が自分の科研費で招待する外国の講師の航空券代や講演料を払うことがあります。予算が10億円と言いますが、事務経費や職員の方の人件費がほとんどです」
■学術会議の在り方
―学術と国の関係で言いますと、国の機関であることの良い点悪い点はありますか。
「政府からの補助金がなければ、民間ということになります。民間の原理で研究を進めるとすると、研究の中立性が損なわれます。お金は出すけど政治的な観点からの口は出さないというのが国の科学に対する在り方として理想的です」
―今の学術会議の推薦方法についてはどうお考えですか。
「今秋の改選で私も初めて他の方を推薦しました。推薦した方で連携会員にならなかった方もいますが、その理由はよく分かりません。私も仕組みがよく分からないので良し悪しの客観的判断はできないですが、自分が推薦したときには少なくともその方の研究業績や学会活動の様子、社会的な活動をされているかといったことを踏まえて選びました。研究業績についてはその方自身が書類を提出することになっています。
私が最初に推薦いただいた際はある学会の会員の方と、別の学会からの推薦があったようです」
―今回の任命が今後の日本社会、あるいは本学に影響を及ぼすか及ぼさないか、及ぼすとしたらどのような影響が及ぶとお考えですか。
「学術会議は自分たちの学問を社会に生かせるよう、専門家同士で真摯に議論をして、良い提言を作ろうという場です。私が参加した分科会では人権を保障したい、弱い人がいたらその救済に声を上げたいという人ばかりでした。研究者の善意や熱意、これはお金では買えませんから、それを踏みつぶしていくということになれば、ものすごくもったいないです。
学士院と学術振興会と学術会議は全くの別物であり、学術会議は潤沢な資金がある組織ではないなど、正しい情報が世の中に伝わってほしいと思います。学術会議は政府に学術の立場から勧告するとても大切な組織で、ボランティアでも働きたいと思うほど研究者がその重要性を共有していることは貴重なことです。
それをなくしたり傷つけたりゆがめたりというのは、本学とか個別のことだけでなく、科学・学問の発展や、学生をはじめとする若い人が将来自分はこうなりたいとかこういう研究をしたいとか、こういう社会に生きたいとか、そうした精神や魂の流れを、傷つけてしまう気がします。どの国においても、科学は、知の遺産として何百年という時の流れの中で検証されるもので、政治的文脈によって選別され利用されるものであってはならないと思います」
(聞き手・高橋克典)
※1:アメリカ政府による『毎日新聞』『朝日新聞』のベトナム戦争報道への批判(1965)やTBSと共同通信、『朝日新聞』に対する、政財界からの「偏向報道だ」という圧力とレッテル張りが挙げられる。TBS(テレビ、ラジオ)は「成田事件」を経て68年、圧力によるものではないとしつつも「偏向」を認め、大規模な人事異動や番組改編を敢行した(「TBS闘争」に至る)。72年には佐藤栄作首相(当時)が退陣会見で「偏向的な新聞は嫌い」「(新聞記者は)帰ってください」と発言した(根津朝彦「1960年代という『偏向報道』攻撃の時代~「マスコミ月評」に見る言論圧力(上)~」『立命館産業社会論集』第53巻第4号、2018、51-68頁、などから)。