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総長インタビュー

多様化する学内と奨学金と

​※本取材は2020年1月に行ったものです

本紙は、本学の田中優子総長に取材する機会を得た。そこで、田中総長に対して「ミス/ミスターコン」問題を中心に本学で進めるダイバーシティについて、また教育格差について質問を行った。

本学の「ダイバーシティ宣言」は浸透してきていると考えるか。

「浸透してきてはいるが、まだ不十分である。ダイバーシティに関する活動を学内外で行う団体や個人の学生も存在している一方で、大学そのものが学生を巻き込んでのダイバーシティ推進はまだできていないのが現状。教職員に対しては、働き方改革や男女格差、障がい者、外国人とのコミュニケーションに関する「ダイバーシティ推進シンポジウム」を2017年から毎年開催しているほか、ダイバーシティ通信を発行するなど、ダイバーシティについての啓蒙を図っている。」

 

今後ダイバーシティの実現に向けて具体的にどのように取り組んでいくのか。

「そもそもダイバーシティの実現には限界がない。何かを乗り越えたら、また次の問題が出てくるものだ。だからこそ一人一人が粘り強く学び、そして互いに学びあう仕組みをとり続けることが重要である。私たちは「無意識のバイアス」に気付き、意識を変え続けなければならない。そのためにも、学内外を問わずに講師を招き、研修を継続する。今後、大学として学生向けのダイバーシティ企画があってもいいだろう。」

 

 本学では学生によって「ミス/ミスターコン」を認めないとしてきた。これについてどう思うか。

「かつては思想的な背景があったと思う。当時から行われていた「ミスユニバース」などに批判的な空気があった。大学生が社会に対して批判的であるのは当たり前だった。だから、学生が「ミスコン」を行うということは、良いとは思えなかったろう。」

 

 

総長自身は「ミス/ミスターコン」についてどのように考えるか。

「そもそも生き物は男と女しかいないわけではない。ダイバーシティ宣言の中にも「LGBT」という言葉が据えられているように、性の多様性は社会の中でもはっきりとしてきたことだ。それなのに、なぜ「ミスとミスター」なのか。また、美醜についての判断は文化によるものである。例えば、戦後の女性雑誌の表紙の多くが白人女性だった。これは人種に基づいた極めて偏った基準で、優生思想だといえる。容姿だけでない様々な基準での審査は面白いかもしれないが、しょせん人の生きてきた全てを比べることはできない。比べられないことこそがダイバーシティなのであり、それを大切にしなければならない。それなのに、学生のミス・ミスターが選出されると「この人が美しい」というある種の教育を受けることになってしまう。学生たちは、自分の個性に自信を持つことが必要である。個性を理解し自信を持つことで成長できるからだ。「ミス/ミスターコン」に限らず、ランク付けはいかなる場合でも非常に注意深く対応しなくてはならない。」

 

 

法政大学に限らずほとんどの大学で留学やサークルといった課外活動が幅広くなった。しかし幅広くなりすぎて活動できる学生とできない学生とで格差が広がったのではないか。

「昔から学生には、体育会、留学、ダブルスクールなど多くの活動がある。留学を例にとると、かつてに比べて明らかにすそ野が広がっている。戦後すぐに留学へ行ける学生はごくわずかな裕福な層に限られていた。私が大学生だった1970年代では、私自身は選択肢として考えられなかった。学校から授業料支援を受けている学生も、学費以外にもお金がかかるため、日夜アルバイトしながら勉強していた。アルバイトしながら勉強することが問題となっているが、かつての学生のほうがアルバイトしている学生の割合は高かったように個人的には感じる。今は短期でも長期でも留学できる人が少なくない。奨学金を例にとると、フルブライト奨学金(日米教育委員会による米国留学のための奨学金制度)が制度としてあったが、かなり優秀でないと受給できない。今は色々な奨学金があって、それを利用して留学ができる。体育会にも活動に対する奨学金がある。学生の頃、私の家は貧しかったので、家計の税制上の書類を見せれば日本育英会(現・日本学生支援機構)に奨学金を申請することができた。それでも受給することができる学生はそうはいなかった。当時は経済的な事情による奨学金がほかにないので、そこに奨学金が集中していた。今は目的に応じた奨学金制度が色々とできている。支援は充実してきた面があるというのは知っておいてほしい。

今回政府がおこなう新しい奨学金制度は、住民税非課税世帯及びそれに準じる世帯であれば、私立大学の場合は最高で70万円まで受け取れ、入学金にも支援がある。どこまで広がっていくかはわからないが、その層の学生は楽になる。ただし今まで受け取っていた中間層の学生達が受け取れない。一方、奨学金を受け取っている学生数が多くなった理由は非常に難しい。奨学金受給者が増えたのは、貧しくなったからか、進学率が上がったからか、奨学金の種類が増えたからか、その分析は難しい。戦後の日本がどのように歩んできたかという長いスパンで見た場合、豊かになったのは確かだ。「学生が貧しくなった」と言う場合、いつと比べているのか、気を付けないといけない。奨学金制度を批判する人がいるけれども、あったほうがいいに決まっている。必要なのは奨学金制度をもっと増やそうという提案。日本の場合は私立大学が全大学数の80%近いが、欧州だと、全ての大学が国立である国も珍しくない。では、なぜ日本では国立大学が少ないのか。なぜ国が教育にお金を出さないのか。そのほうが重大な問題。これから国立大学が増えるというのはありえないので、せめて奨学金が増えるように求めていく。できるだけ多くの人が高等教育を受けられるようにするべきだ。

高等教育ということでいうと私が学生だった時代は4年制大学への進学率が17%だったが、今は50%を超えている。非常に多くの人たちが高等教育を受けることができる時代になっているのも確か。これがもっと伸びるのかどうかは予測できない。専門職大学や専門学校に行く学生が増える可能性もある。その理由は学費が払えないからなのか、それとも大学に進んでもそれほど給料に差がない、と考えるようになるのか、社会の変化によって変わってくる。例えば銀行が採用人数を減らしている。一方で人手不足とも言われている。そういう状況を見ていると、どういう学校を出るのがいいのか、今の10代にとって判断が難しい問題だ。とりあえず大学に、と考える若者が増えていくのか、とりあえず大学、でいいのかという問いをする若者が出てくるのか。

私は、とにかく希望する学びができることが一番いいと考えている。それを経済的な理由で断念することがないように、学ぶ意欲のある人には支援を行き届かせるしかない。大学としても奨学金を増やしてきた。今は成績よりも経済的な困難に対する給付型の奨学金を増やしている。冠奨学金の原資となる寄付も増えている。

日本学生支援機構も給付型を増やしている。どこまで増やすことが適正なのか、社会全体をどのような方向にもっていくのか、できるだけ多くの人が考えながら行動する必要がある。」

 

 

政府による新しい奨学金制度によって今まで受給できた人が新制度では受給できなくなる人がいるということが報道されているが、法政大学ではどうか。

「届出の最中でもあるし、どれほどの学生が申請をして、受給するかわからない。始まってから、今まで受けていた人が受けられないケースがどれほどあるかがわかるので、その時に検討したい。今度の新しい制度は段階的になっているので、ある程度の収入を持った人でも受けられるという部分もある。そこを含めて全部精査しなければならない。その時に非常に多くの学生が受けられなくて困るのか、受給できない学生を20数種類ある他の奨学金がカバーできるのであれば、申請を促す。学内の奨学金や、学外の奨学金を組み合わせてカバーする必要がある。重複してもいい奨学金と重複してはならない奨学金がある。非常に複雑だが、大学がやらなければならないことは、学生に正確な助言をすること。できるだけ多くの学生が何らかの奨学金を得られるよう導くことだ。そのうえで非常に偏りが出たとか、受給できない学生が多数いるとなれば、大学も何らかの方法を考えなければならない。」

(西森知弘・田谷泉)

 

たなか・ゆうこ 総長

1974年本学文学部日本文学科卒。2014年より本学総長。

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